melody IC :SVM7910 here. one AAA (1.5v)
オイラの成人式の頃では信州精機の社名だった。
信州精器のメロディICで 音だししてみた。信州精機が EPSONになったのは1982年。
松本市寿で 従弟が「信州精機 塩尻からクオーツ時計基板の製造」の仕事を貰ってはじめたのが1965年頃。 牛舎を潰して小屋つくってはじめた。それが当たって 長者番付にも時折ネームが上がっていた。
気がつくと従弟は EPSON home pageの役員page に名前があった。(2005から2013年).
オイラの隣でラダーソフトつくってた同僚は、現epson 役員になっている。(2017年から 現在)。
新聞に出ないリストラが旨い企業で、90年頃と99年頃に其々1000人ほど削減している。 京セラが賞与を金銭で出すチカラがなく 物支給(携帯電話)だったことを知る社員も少なくなった。
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キット品は RK-250kit.
信州精器の 通い箱はブルーだった。
オイラが島内事業所のゲートをくぐり敷地に入ったのは1973年のこと。
信州精器が今や1兆円企業になり、あの小川部長がepson社長職に昇格している。
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富士見でメロディicを出したのが1978年のこと。 オルゴール三協精機とは 同じ諏訪なので、当然ライバル意識を抱えて開発しただろう。
従業員給料ベースとしては1978年時点では 三協 >>精工舎 なので、 精工舎は「巨大な下請けから脱出しようと藻掻いておった」。
「メロディicの開発費は1億円では足りない」と この信州では云われておった。
メロディicから撤退したのは、液晶ドライバーICでの利益性が高いので、そっちにシフトした。EPSON 386 note pcの全盛期のころ。日立は自前でラダーシーケンサー用ツール GPPを製品化したのでスンゴイとも思った。
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