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2022年5月19日 (木)

OTARI

 オイラが高校生の頃は、ORARIがEPSONより就職先として人気があった。 一年上の先輩はオタリ電機に就職して、DAT等のテープ関連の開発していたら、補修に回され欧州に5年ほど住んでいた。

 オタリもパチンコ屋に工場と広大敷地を売ったとおもったら、旧EPSON梓川工場を買ってそこに移動して行った。旧EPSON梓川工場では 下請けとしてテプラ、たまごっち、液晶の手のひらサイズのゲーム機を製造し、 大メーカーに納品していた。巨大な下請け状態であった。膨大な不良品が△△にある との話題になった時期でもある。 そのころシンセンepsonに行ってみた。交差点の信号機がシンセン市にただひとつだけある時代で、ビルの2Fと3Fを借りて時計ムーブメントを手組していた。自社ビルの計画も立っていない頃で、名刺交換した現地の総責任者は、赴任を終えてもどってきたらEPSON役員欄にお名前があったのを覚えている。あれから32年。 今の役員欄には オイラと机を並べていた往時好青年の名も視れる。出世したね。

 EPSONのインクジェットヘッドを利用したもので有名なのが、ミマキエンジニアリングから販売されているプリンターである。二次元・三次元ともヘッドは made by epsonである。

 ミマキエンジニアリングの三次元プリンターが爆売れしたのみて、ようやくepsonが重い腰をあげ三次元印刷の技術確立に模索したのが2013年。 その初号機の制御ソフトは外部の会社に委託したぽい。深く知っているが書けない。

 眼鏡レンズ(球面)へようやくインクジェットできたので松島事業所に持ち込んだら、松島事業所はヒトと建物がhoya眼鏡に売られてしまった。 担当のepson係長の姿をみたのはアレが最後である。オイラは機械体の設計をしただけだ。

epson販売がすごく縮小されて、長野県内の営業所はゼロになったようだ。東京の担当が岡谷、諏訪、松本で販売するようだ。 白板事業所は売りにでて、どこかが買ったようだ。クリーンルームユニフォームのクリーニングと一部製品を造っていたが山の松本南事業所へ持っていた。白板工場を造った時のことをオイラは覚えている。

 さて、久々にオタリ電機のWEBをみると 凄いものは製造していないようで、海上電機と似た分野を始めていた。 洗浄機の心臓部の質のよいものは日本製品ではない。電気エンジニアが中心になってまとめた製品のようで、オイラから見ると工夫が足らないねになっている。ボンダーの新川はヤマハ傘下になりさがっている。新川の初期モデルにチノンccdが搭載されていたのはご存じの通りだ。新川も、富士電機松本工場に鍛え上げられて質が向上した経緯をオイラも鍛えた側から聴いている。

オタリは、90年代後半にできるエンジニアが抜けていって今の様のようだ。この田舎じゃ、「その会社はまだあったの??」状態だが、デジタル技術を軽視していた結果今に至る。

ヒトに投資しない会社は下降線モードに入れるので、外部からみて判り安い。

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