測定器との出会い

国立大学で、ぶらぶらしていた後に、

田舎に戻って来ました。

務めた「小さい会社」が、ラジカセやウオークマンを製造・販売していました。

(小さいながらもメーカーです。)

町工場での人数は150人ほどで、本社は別にあった。タムラの半田槽、日置のボードチェッカー、シールドBOX、チップマウンター、パナサート、、、色々あった。

カセットのメカニズムも組みあげていた。

3年ほどの間に、半導体ラジオの技術は、そこで習得しました。

人並みに測定器が使えるようになりました。カセットレコーダのメカニズムも覚えました。

半田ブリッジ、部品不良、TRの個体差、テープヘッドの個体差、キャプスタンローラーの個体差、フライホイールの個体差、 色々とあった、、、、。

生産高は、安いウオークマンで3000個/1日(年間休日が75日の頃です)

ラジオ付きウォークマンで600個/1日。ラジカセも600個/1日。ダブルラジカセもあった。

MW,SW1,SW2,FMと4バンド付きのラジカセは、良かった。

メーカーなので保証書入れて、輸出梱包です。

直行率が97%でも、毎日20台近くは直して良品化するわけです。

3年務めたので、累計20000台位は、波形を見て直していました。

ワウフラッタ-は、「波形を見ると、どの回転部品がNGか」がすぐにわかるようになりました。

その後、縁があって 松下通信の下請けで、「カーステ基板製造」で働き始めた。

丁度、ボリウムICが出始めた頃でした。

チェッカーで通電、動作確認して、A'ssyで納入です。

半田槽の全盛期でしたね。 基板の修理をしてました。

時は流れて今、FAの機械設計屋。

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