穂高を有名にしたドラマ
1
鐘の鳴る丘
NHKラジオ第1放送で1947年(昭和22年)7月5日から1950年(昭和25年)12月29日まで放送
建物の老朽化を忍びなく思った鳴澤悦郎氏(法政大学評議員)が、土地・建物を私費で買い取り、穂高町に寄贈した。 安曇野市職員はこれを知らずに働いている。
2
1975年 水色の時 NHK
大竹しのぶ(新人) 米倉斉加年
初主演のドラマである。
これ以降、ワサビ畑の知名度があがり盛夏には2000本/1日のアイスクリームが 御法田で販売されるきっかけになった。御法田は脱税で2回TVに報道された。3度目がいつになるか?が住人の関心事である。
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上田の刀屋(蕎麦屋)のおいちゃんがNHKの料理番組にでていたのは2回覚えている。当然井戸水。
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保高氏 と 穂高。
穂高神社奥社は明治動乱期に建立した。(昭和60年頃にこれは刊行本になっている) 表向きには古来からあるような振りではあるが、明治以前には猟師すら足を踏み入れたことのない地域であるので、道案内レスで神主の体力では登ることは無理。
上高地までのルートは庄屋の務台一族(温村)が知っておった。穂高の住人は登山ルートも知らずにて案内人なしには辿りつけない。
逆賊な安曇族の見張りに仁科神明宮を朝廷は建立した。仁科エリアは古来から荘園である。仁科の大日方一族は帯刀を許されている。 帯刀は「おびなた」と読み、おびなたに大日方を当てた。大日方氏本家( 社 )には古刀2振りがある。(彼は子なしだったので、どうしたか?は気になる)。 戦中は朝廷(昭和天皇)の守りとして大日方本家が仕えていた。(本家 実子から聞き取り)
大日方の縁者に小川庄:大日方一族がいる。 戦前、小川村は大日方氏の所有であった。小川:大日方本家の前当主とは数度お話させていただいた。今は鬼籍。
逆属安曇族による祟りを怖れた朝廷は、たたり神としてまつることを決めた。 これは菅原の祟りが神と同様である。 菅原氏の場合は先例(安曇族)があったので、早い判断できた。
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安曇平は、河川が造った盆地を指す。
山麓は先住人が洞窟に住んでおったので、そのような狩猟地域は安曇ではない。北の河川合流点から南の河川合流点までである。堀金、三郷、島内、島立は安曇でない。山麓の住居は鼠穴と呼ばれ稲作民からは馬鹿にされていた。三郷では食べ物 いわゆる食性が違うので安曇にはなれない。
北: 中房川と高瀬川合流点。 川合神社あり。
南: 高瀬川と梓川合流点。 高家
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松本藩主の小笠原本家は、中山に居がある。「前当主とはオイラも既知」である。
小笠原 分家とはいまも接点がある。(せとか を送っておいた)
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山岳信仰では、有明山が開祖されている。木曽 御岳も開祖されている。
しかし穂高岳で開祖した人物はいない。草鞋で登るには困難。
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水のうまさ比較。
生は松本城東。 庭の井戸水。
育ちは大町 : 居谷里湿原の上水道。
転居して池田町に35年。池田町の上水道は大町市からパイプでもらっている。
先般小岩嶽に戻ってきたら、簡易水道ではなくなっていた。
高瀬川左岸と右岸では水のうまさが違うことは、転居の度に分かった。 先般のおおゆれで高瀬川左岸での湧水がかわり、薄井の酒屋は地下ボーリングしなおすようだ。 池田町の上水道はかなり拙い。
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長野県大町市に館を築いた仁科氏は、大町に京都風の町割を敷き、近くには貴船神社(きふねじんじゃ)、北野天満宮(きたのてんまんぐう)など京都の社を配します。安曇野一帯には、高瀬川(たかせがわ)、木舟、定光寺、小倉、室町橋、吉野、大原といった京都を連想させる地名が多く、これも仁科文化の名残でしょう。
一方、松本平(まつもとだいら)では、中世を通して信濃(しなの)と最も深い関係を持つ武将・小笠原氏(おがさわらし)が台頭してきます。全国で最も早く武士出身の国司が誕生(1185年)したのは信濃とされていますが、その初代信濃守(しなのかみ)が源氏の加賀美遠光(かがみとおみつ)です。遠光の子孫が小笠原氏となり、中興の英主といわれる貞宗(さだむね)が松本市の井川城に居館を構えて筑摩(ちくま)郡の拠点としました。
その後、小笠原氏は有名な「大塔(おおとう)合戦」で敗退しますが、再び信濃の守護職に復帰。しかし、内紛が絶えず武力による闘争を繰り返します。通常、戦国時代は応仁の乱から始まるとされていますが、その兆候を20年前のこうした信濃の抗争に求める識者もいます。
余談ながら、礼法の「小笠原流」は、この小笠原氏がまとめたものです。小笠原氏は江戸時代にも一時松本藩主となりますが、改易されて、最後は小倉藩主(九州)として生き延びています。
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安曇族が反乱を起こしたとされる具体的な歴史的出来事は、磐井の乱(527年)です
阿曇山背 死没は663年、
阿曇山背の祟りを怖れた朝廷が、鮭の狩猟基地を神社にした。祟りを封した神社なので、怒りに触れぬように。
延喜式には川合神社(現 池田町)も載っておる。ここには神はいた。
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辰の子太郎。
産川(さんがわ)から赤ん坊が流れてきたのをお婆さんが拾い上げ、小太郎と名前を付ける。小太郎が成長してしばらくすると、婆さんもまた病で亡くなってしまう。一人ぼっちになってしまった小太郎は、昔お婆さんが「お前は千曲(ちくま)の湖に住む龍の子どもに違いない」と言っていたことを思いだした。
龍は天照大神系神話には登場しない。 天津族が日本国に来る以前の宗教にだけ、龍が登場する。
出雲系民族。サメが出てくる。
天津系民族。すまいは茅葺になる。
それに土着民族しいて言えば土蜘蛛の3種に分かれる。(横穴生活していたので土蜘蛛と呼ばれた)
天照族と龍族は波長が合わないのも事実。 祝詞で混ぜているのもあるが、正しくない。
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信濃国は古代の律令制度の下で設置され、10の郡に分けられていました。
1876年に筑摩県が長野県に合併され、信濃国の全域が長野県となりました。 「州」とは国を意味し、昔中国で使用されていた「国の漢字1文字+州」という呼び方で「信州」となりました。
信州の呼称歴史は、 近150年しかありません。
神州天馬侠も有名です。