白樺湖は 10年かけてつくった貯水池です。蓼科大池が正規名称。

以下引用:ウキペディアより

この池の平の北半分を含む八子ヶ峰北側一帯は江戸時代、佐久郡芦田村(現・北佐久郡立科町)との所属を巡る争いの結果、柏原村が敗れて芦田村の所属となったが、池の平北側の芦田村立科八ヶ野地籍100町歩余の土地について北山村柏原区が1905年、芦田村側の財産組合から4000円余で購入。1912年7月5日に柏原区全区民名義に所有権が移り、芦田村域を含む池の平全域が柏原財産区の区有地となった[3]

1935年ごろから区内で造成の機運が高まり、1938年、「溜め池に流入する量と、同量の温水を放流し、以て冷害を完全に除去せんとす」との目的を掲げて北山村池の平耕地整理組合が設立された[1]。組合が数回にわたって国や県に陳情を行った結果、造成工事は「県営北山村他三ヶ村農業水利改良工事」として1940年5月に着工した。

総工費24万円のうち、半分の12万円は国の補助金が充てられ、残りを県と地元とが3対7で負担したが、1944年には資金難を理由に県が工事を打ち切ったため[2]、不足の15万円を柏原区が負担し、地元住民や旧制諏訪中学校生徒らを動員して1946年11月に竣工した[1]

県営事業のため管理は引き続き県が行ったが、1948年4月に北山村池の平耕地整理組合(1953年、池の平土地改良区に改称)へ管理権が移管され[1]、湖周一帯を含むすべての権利を柏原区が持った。しかし堤体からの漏水が激しく、1949年にコンクリートを注入する漏水補強工事が県と地元で行われたが、柏原区が費用負担を拒否したため、区民有志でつくる代行組合の出資で行われた[2]

水を音無川に供給している白樺湖と、主に滝之湯堰に供給している蓼科湖(1952年)の完成後、茅野市域では、水稲の冷害被害は格段に減少した。白樺湖は完成当時、観光に利用する意図はまったくなかったが[2]、まもなくニジマスワカサギコイの養殖が始まった[2]。八子ヶ峰からも湖底の音無川旧河道や大門街道がはっきり見え、水没して枯死した白樺林が湖面に突き出ていた[2]

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