2023年3月に緊急停止した。国土交通省には当日報告済み。
味の素の鈴木商店が電力を探して長野県に注目し千曲川での発電検討していたら小坂家が発電所を建設はじめた。 それじゃと、あちこち視察して高瀬川に決めた。
物資輸送が人馬の時代。信濃大町駅が1916年に私鉄駅として開業。 駅舎は相模組(当時は大町町)による工作物。
高瀬川発電予定地までの物資輸送にトロッコ私鉄を東信電気 (鈴木三郎助)が軌道を造った。東信軌道と呼ばれた。この軌道工事は相模組の傳刀班、峰村班、市川班でまとめあでた。
軌道で物資搬送できたので、1922年に第一発電所稼働。
東電高瀬第五発電所は1925年の稼働。この第五が鈴木商店単独の最初の発電所。(第一から第四までは小坂家からの技術支援もあった)
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停止中の第五発電所は、 国土交通省からの工事認可がでないまま15月経過中。
リプレース案1 :現位置にて10mほど持ち上げ
リプレース案2:現位置より山側に寄せる。
案1 あるいは 案2にするかは、国土交通省のお気持ち次第。 公務員様のお気持ちに整合しない案は受け取らないのが公務員。現状は、「お気持ちをどちらにするか決めきれない国土交通省 治水課」。
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2015年に長野県建設部と水力発電相談を始めた。正面から話を聞く気がなくたらい回しにされたので、県会議員に申し入れして県庁へ打ち合わせにいったら課長が名刺を持って挨拶によってきた。(2020年)
突き詰めると砂防指定地での認可を長野県はおこなったことがなく初めて。 つまりどうすりゃいいか不明なので たらい回しモードにしたことも読めた。オイラが先陣きったので、それ以降は、砂防指定区域における手続きマニュアルが建設部内部でできあがった。
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安曇平での水力発電の歴史:
松本は安曇平ではない。高家(梓川の合流点)から大町エリアを安曇野と呼ぶ。安曇族の食性は、松本住人とは違う。
中部電力所有の姫川発電所は、庄屋の横沢氏(塩島区)の私財投入によりできた。生坂ダム、中房川の発電所すべて、横沢氏の私財投入で完成した。 横沢氏は没落した。
中部電力での水力開発歴史は安曇平にはない、私企業が私財投入し 採算ベースに載らないので売却され、それが回りまわって中部配電の所有になった。
水力発電での技術的なことを中部電力に相談しても まともな答えが戻ってこないのは開発歴史がないからだと理解している。林地で電柱引く相談したら「名古屋に話してくれ」との所長談だった。
「出来上がったものを買う」のに技術は不要。 人も合わせて手にいれりゃ 便利。
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保髙 と 穂高。
明治維新直後では保髙村。「保髙」の初見は1510年にまでさかのぼる。
保髙氏の神社が 穂高神社である。 漢字表記で意味を分けていたが 今は混沌としている。
水路をつくり米作が良好になって地名に 穂の文字をあてて現在にいたる。
保髙と呼ぶのが、歴史上で正しい。