1
三郷村で錦を飾ったのは務台理作氏。「へ-ゲルの歴史哲学研究」
務台一族である。
2
槍ケ岳の近代史(1828年 播隆上人開山)には、名が上がる務台一族。
旧野沢村(安曇野市三郷)の庄屋、務台与一衛門影邦が天保6年(1835年)播隆上人と槍ケ岳山行。
新田次郎氏による「槍ヶ岳開山」が書かれ、新田氏はそれにより山岳小説という新分野を切り開いたと評価されたとある。
1880年に槍ヶ岳に登った英国人ガウランドは、山頂からの景色を「ジャパニーズ・アルプス」と命名。この名称は、やがて英国人ウエストン(1892年に槍ヶ岳登頂)によって世界に広められ、同時にMt.YARIの存在も世界の登山家に知られるようになりました。
3,
当代の務台俊介氏(東大、法学部卒)は、総務省出身の代議士(麻生派)であった。2024年落選。
オイラも近8年ほど自民党代議士さんたちとは接点があったので、お茶菓子をもって顔を出してきた。6月6日、
登山する代議士は長野県内には彼しかいないので、山小屋のこと登山道整備のことは、自然と彼に集まってくる。 県会議員で登山を趣味とするものは安曇平にいない。
安曇平の治水・治山を深く理解している人物なので活躍できる場が必要だろう。